僕らの神話が終わった日 ─ そして希望の物語が始まる

Chapter6

「普通の人」だった悪人たち

犯人が多すぎて検挙できない

 一九四五年の輝かしい瓦礫のその日。
 一九五五年、夏雄が見た樹海の消滅。
 その十年の間に、いったい何が起きたのでしょうか。
 焼け跡の苦痛の時代は長く続き、青空のもとで立ち上がったはずの政治や経済は腐敗していきます。成金が生まれ、そうした闇商人たちが跳梁跋扈する闇市。救援 物資はどこかで横領されて、闇経済に呑み込まれてしまいます。

 この時期、「隠退蔵物資」という事件が新聞を毎日のように賑わせていました。
国民にはまったく物資が届かず、餓死する人さえいた状況の中で、日本軍が戦中に民間から接収していた膨大な物資がひそかに横流しされていたことが明らかになったのです。
 この事件を暴いたのは、参議院議員だった世耕弘さんでした。世耕さんは非公式のこの事件を調査し始め、その結果、一九四七年に国会で、「日銀の地下倉庫に隠退蔵物資のダイヤモンドがあり、密かに売買されている」と爆弾発言します。
 その後国会にこの事件を調べる特別委員会が作られ、恐ろしいほどの腐敗が明らかになっていきました。
 愛国婦人会の女性たちが戦争に協力しようと寄付したダイヤモンドや貴金属類。海外から持ち帰られた希少な金属や薬品。戦前、本土防衛のためにたくわえられていたはずの膨大な宝物が、ほとんど雲散霧消してしまっていたのです。
 四七年の一年間だけで発見された隠退蔵物資は、総計で三〇〇億円以上にもなったと言われています。この年の国家予算は、わずか二〇五〇億円。

 そしてこの隠退蔵事件では、犯人はだれひとり起訴されないまま終わりました。官僚の上から下まで、政治家から警察官、元軍人とありとあらゆる人たちがこの不正に手を貸していたため、摘発しようがなかったというのが現実でした。
 民主主義の仮面をかぶっていても、ひと皮めくれば「この混乱がずっと続けば儲かるんだがな」と思っている悪人たち。その悪人はどこか遠くの場所にいて突然襲来してくる異邦人ではなく、自分たちのすぐ身の回りにいる普通の人たちだったのです。
 そういう仲間だったはずの悪人たちの跳梁跋扈に人々は疲れ、みじめな気持ちへと陥っていきます。
 戦前の大日本帝国では、「私たちの国が危機にさらされているんだ」「このままでは私たちの国が危ない」という危機が共有されて、だからみな「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで」きたのです。

 でもそういう帝国の神話は、一九四五年の八月十五日をもって終了してしまいました。

神話は終わってしまった

 そしてその先には、何も神話が待っていない。
 その神話を自分で作っていこう。そういう気概の人たちもたくさんいました。でも敗戦後の泥沼のなかで、僕たちはだんだんに疲れていってしまいます。
「どうして僕らはこんな酷い目に遭わなければいけないのか」「いったい誰のためなんだ?」
 そんな疑問が湧いて出てくるのは、当然の流れでした。

 そしてまた、僕たち日本人には、戦争で戦って本当の神話となってしまった友人たちがたくさんいました。戦死した英霊たちです。
 あの死者たちに、僕たちはどのような言葉を投げればいいのか? 「あの戦争は間違いだった」と言えるのか? 「価値観はもう変わったんだよ」と軽々しく言えるのか? じゃあどうすれば弔えるのか?
 敗戦時、東京帝国大学総長だった南原繁さんは二十一年三月、戦没職員学徒慰霊祭でこう語りかけます。

「不幸にして真理と正義はわれらのうえにはなく、米英のうえにとまった。それはただに『戦に勝った者が正義』というのではなく、世界歴史における厳然たる『理性の審判』であり、われらとともに敗戦の悲痛の中からおごそかにその宣告を受け取らなければならぬ」

 そしてこれは日本民族にとっての十字架である、と。僕らはそれに耐え、忍ばなければならないのだ、と。
 そして、英霊たちはこの十字架の下で、日本民族の捧げならなければならなかった犠牲。日本人全員の罪悪に対する贖罪の犠牲なのだ、と南原さんは語りました。

 ではなぜ僕たちは、そのよう真理も正義もなく、理性の審判に打ち負かされなければならなかった戦争に向かってしまったのでしょうか?
 敗戦までの何年もの間、日本人はどこをどうたどって来たのでしょう。混沌となり、錯乱し、まるでもやもやとした夢の中をさまよってきたかのようじゃないか、と。でもそんな夢の中だったはずなのに、それにしてはあまりにも厳しい歴史の現実が待ち構えていて、その中を生きる日本人は不安と焦燥、緊張と興奮、絶望と悲哀のつづれ織りのようでした。
 じゃあなぜそんな目に?

ただならぬ時代の流れのなかに

 南原繁さんは語ります。
「今や白日の下にさらされたことは、軍閥、超国家主義者ら少数者の無知と無謀と野望によって企てられたただ戦争一途と、しこうして没落の断崖めがけて、国を挙げての突入であった」

 つまり、軍部や極右の少数の者たちが、彼らの無知と無謀と野望によって戦争を企てたのだというのです。これによって敗戦という予測された結末に向け、国を挙げて戦争に突入してしまっていったのだったと。
 それを知らずに僕たちは、正義と真理のためだと信じて戦ったのだと南原さんは言うのです。
 でも本当にそうだったのでしょうか? 本当に「少数者の無知と無謀と野望」のためにすべてが暗黒に呑み込まれてしまったのでしょうか?

 南原さんは戦争中、キリスト教徒でありながらも教え子たちを戦地へと送り込まなければなりませんでした。
 戦争中、その時代精神に対して、南原さんは沈黙とともに抵抗しました。応召学徒の壮行会に挨拶に立つときも、ひとことも「勇躍戦地に赴いて戦うべし」などとは言わず、「ゲーテ『ファウスト』の課題」などという文弱なスピーチをもって教え子たちを送り出したのです。「諸君の征ったあと、残るものは少数となっても、大学と学問の自由を守る」と決別の辞を述べたこともありました。
 さらに戦争末期には、東京帝大の他の六人の教授たちとともに、勇をふるって戦争の終結を鈴木貫太郎首相に進言までしています。
 それでも彼は、教育者として自分の教え子を死地へと向かわせる、その痛みと真正面から向き合わなければなりませんでした。相克する人間としての価値と、政治の運命。その相克と南原さんは向きあわなければならなかったのです。

 相寄りてともに学びし若きらのいづこの涯(はて)にたたかふらむか
 学生にてありたる君等たたかひにいのち献げて悔なしといふか
 君死にと聞きにしときに思ほえずわが声出でて嘆きたるかな
 ただならぬ時代(とき)の流れのなかにして汝(な)がたましひを溺れざらしめ

著者プロフィール

佐々木 俊尚
1961年生まれ。早稲田大学政経学部中退。毎日新聞記者、月刊アスキー編集部デスクを経てフリージャーナリスト。主にIT・メディア分野を取材している。「キュレーションの時代」(ちくま新書)「仕事するのにオフィスはいらない」(光文社新書)「電子書籍の衝撃」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など著書多数。
http://www.pressa.jp/
松尾 たいこ
広島県生まれ。第16回ザ・チョイス年度賞鈴木成一賞受賞。著作に作品集「Layered」(パルコ出版)や角田光代氏との共著「Presents」(双葉社)「なくしたものたちの国」(集英社)がある。
これまで250冊以上の書籍装丁画を手がけたほか、広告、CDジャケット、雑誌、ファッションブランドやミュージアムショップにも作品を提供するなど幅広い分野で活躍。
http://taikomatsuo.jimdo.com/