Chapter4

坂口安吾の突きつけた刃
一九四六年春。
作家坂口安吾は「堕落論」を書きます。
当時の知識人たちに強い衝撃を与えたこの短い文章は、二〇一一年のいま読むと、僕たちの心にひそやかに突き刺さってきます。
堕落論は、僕たち日本人の建前を思い切りぶち壊してしまう、明快な論理に満ちあふれています。一刀両断です。
安吾はこう書きます。
赤穂浪士四十七士の助命嘆願を排して処刑を断行したのは、彼らが生きながらえた時に名を汚すような行為をする者が現れないように、という配慮があったから。
清楚な姪が二十一歳で自殺したとき、安吾は「美しいうちに死んでくれて良かった」とも感じた。清楚だけれど壊れそうな危うさがあり、そのうち地獄に真っ逆さまに落ちるんじゃないかと思っていたから。
仇討ちは草の根を分け乞食になっても追いまくれと言われたが、それはもともと日本人が最も憎悪の心の少なく、あっけらかんと昨日の敵を今日の友にしてしまう国民性だったから。
武士道が作られたのは、こういう規定でも作らないかぎり日本人を戦闘に駆り立てられなかったから。
つまりは日本人なんて、そんなものだと安吾は言うのです。
だから天皇制だって、代々の権力者たちが天皇陛下を本当に絶対だと思ってたわけではない。天皇陛下をまつりあげなければみんながついてこないと、彼らは政治的嗅覚で知っていたからなんだと。
そして安吾はこう突き放すのです。「孔子家でも釈迦家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである」と。変わりやすい女心をつなぎ止めておくのと同じようなものだった、と言うのです。
戦前の美しい戦いの美学。空襲。神風特攻隊。玉砕。
そうした破壊と破壊への衝動を、安吾は「私は偉大な破壊を愛していた」「あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった」と書きます。
つまるところ、僕らはその美学を求めていたのです。その美学に陶酔している間は、目の前の不安や日常の些末な困難から、しばしの間は逃れることができる。そしてもっと大事なことに、自分で責任を負うことの重みを回避し、責任を「偉大な破壊」を実現する天皇制や軍部という唯一無比の存在へと仮託することができる。
そうした唯一無比の存在は、つまるところ僕たち日本人にとっての「神」なのかもしれません。その存在とともにいる間は、自分は責任を負わなくていい。そういう便利な存在としての「神」。そしてその神は、美しい戦いの美学という「神話」を紡ぎ出してくれることができた。
神と神話。そういう後ろ盾が、僕らの戦争を担っていたのです。
僕らは神と同一になることで、ともに「偉大な破壊」という美学を存分に実現して美しくカッコよく生きることができるのです。
だからこそ当時の日本人は、開戦を恋い焦がれ、その美学に心の底から陶酔することを望んだということなのです。
みながともに助け合い、愛情を伝え、言葉をかけあいました。偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。
そういうふうに美しく生きたい、と僕らは望んだのです。
結局のところ僕たち日本人は、安吾が「偉大な破壊」と呼ぶような崇高で峻烈な「神話」を必要としているということなのかもしれません。そうでなければこの脳天気な国民は、ばらばらに離れてしまう。そこに求心力を維持していくための装置として、偉大なる神話が作り上げられてきたのでしょう。
だから僕たちは実は、心の底からそうした神話を信じているのではない。ただそう信じ込もうという皆の努力が、神話を成り立たせているだけということなのです。
偉大な美しい破壊は終わった
でもそれらの偉大な破壊は、敗戦によってなくなってしまったと安吾は言います。
偉大な破壊は消え、僕たちは堕落するのだと。
そして堕落によって、本当の人間の歴史が始まるのだと。見せかけの神話を捨て去った後に、本当の僕らの社会が生まれるのだと。
「日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか」
安吾の叫びは、この一文に凝縮されています。
でも安吾は、文章の最後で「だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう」とも予言しています。
人間の心は鋼鉄のように苦難に立ち向かっていくことはできない。可憐で脆弱で、そして愚かなものだから、堕ちぬくためには弱すぎるのだと。
だから結局、偉大な破壊を失ってしまった日本人もやがてはまた武士道を編み出し、天皇を担ぎ出し、処女を刺殺せざるを得ないだろう、そう安吾は書くのです。
でも他人の処女ではなく自分の処女を刺殺し、自分自身の天皇、自分自身の武士道をあみだすためには、やはり僕たちは堕ちきらなければならない。
「堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない」
安吾のこの言葉は、長い戦後社会を終えた二〇一〇年代の僕たちの精神に、深く深く突き刺さってきます。
僕たちは「堕ちきった」のでしょうか? 堕ちて堕ちて、堕ちぬくことができたのでしょうか?

佐々木 俊尚
松尾 たいこ