僕らの神話が終わった日 ─ そして希望の物語が始まる

Chapter11

物語を語りはじめる時

広がる分断、深まる不信

 神も神話も消え去った日本。
 頼れるものがなくなったこの僕らの社会で、いま不信が社会を覆っていこうとしています。単色を信じていた僕たちは、もう社会が単色だったことさえ思い出せなくなってしまいました。

 昨日まで一体だと思っていた人たちの間に、広がっていく分断。無数の温度差。

 死んでしまった僕らの友人。酷い目に遭った人たち。助かった人たち。酷い目に遭った人の痛みを抱えてしまった人たち。傍観する人たち。別の不安を口にする人たち。不安を煽る人たち。
 いまや僕らは無数の温度差の中に生きています。
 そういう無数の温度差の中で、僕らは自分の居場所をどう探していけばいいのでしょうか。
 一体感を失う社会の中で、僕らはいったいどうやって生きていけばいいのでしょうか。
 僕たちの救いは、どこに求められるのでしょうか。
 僕たちにはもう未来はないのでしょうか。
 僕たちは亡びていく運命なのでしょうか。

 でも神と神話の終焉を迎えた今、ひとつだけ僕が実感していることがあります。
 それは僕たちのこの国は、決して単色ではないということ。本当はその内側に、複雑で鮮やかな色をたくさん隠し持っているということ。
 だって僕たちの祖国は、僕たちの世界そのものでもあるのだから。
 僕らの生きているこの世界。そのさまざまな風景を思い出してみてください。
 それはとても複雑で多様です。無数の色の重なりの中に、僕らは自分がどの色の中にいるのかもわからないまま生きている。

たったひとつの色の奥にはさまざまな色がある

 あなたがいま見ているのは、とてもきれいな景色かもしれません。でもその美しい自然の光景の裏側では、残酷なことがおきています。
 草むらでは、なにかの生き物が別の生き物を殺戮し、捕食している。
 夏の山脈は、厳冬期には人が近寄れない過酷な場所に変わる。
 母なる川は台風の秋には洪水を引き起こし、高波が街を襲う。
 冬にはあれほど焦がれた太陽の日差しが、炎暑の夏には生き物を干からびさせる。
 自然はいつも優しく、でも時に狂気をあらわにする時があるのです。

 絵はがきの写真のような風景も、色の層を一枚ずつはがしていけば、別の姿へと変わるということなのでしょう。しかしそれは、決して善でも悪でもありません。

 なぜなら捕食の食物連鎖は、それ自体がひとつの自然のあり方だからです。
 厳冬期の山脈は冷酷になればなるほど鋭く、夏の凡庸な姿とは違う美しさを。
 繰り返される洪水と高波は遠くから栄養を運び、豊穣な土地を。
 そして四季の繰り返しによって、世界は美しく転がっていく。

 狂気に見える自然は、その狂気の発露によって最終的な調和をたもっているのです。そのすべては、世界が始まった時から約束されていることなのかもしれません。
 色の重なりの中に、隠されていること。自分がどの色を選択させられているのかということ。
 そして、その意味を私たちが知るということ。

さまざまな色の積み重なりの中に

 思い返してみれば、人と人の距離も、同じように色の積み重なりの中にあるのかもしれません。
 信頼できると思っていた人から、ある日投げつけられた酷い言葉。
 愛していた人から届いた別れの言葉。
 裏切りと別離。
 でも投げつけられた酷い言葉の向こう側には、深い苦悩や悲しみがあるのかもしれません。ひょっとしたら僕に対する思いやりでさえも。
 別れの言葉の真意を、永い年月の後にようやく理解する時。「好き」「嫌い」と単純に思っていた人との関係も、レイヤーを一枚ずつめくっていけば、別の関係が表れてくるのです。人は人を愛するのと同時に、憎み裏切り、でも再び関係を取り戻すときもある。そういう重層的な関係性の中に、僕らは生きているのです。
 そこには無数の物語がある。僕たちが存在する数だけ、同じ数だけの物語があるのです。
 そしてそれらの物語は一色ではない。めくるめくようなグラデーションを描いて、無数の色をそこに現出させているのです。

「物語」という希望の先に

 希望とは物語である、といいます。
 空疎なスローガンを口にしても、希望は生まれてこない。「がんばろう」とお題目のように言われても、希望の力は湧いてこない。「皆で一丸となってひとつの希望を」とお仕着せの希望は、僕たちに何ももたらしてくれません。
 そうではない。
 そうではなく、本当の希望を持つためには、物語を持つことが大切なのです。自分がいまいるこの絶望の場所から、どのような物語によって光り輝くどこか遠くへとたどり着くことができるのか。
 その道筋を描く物語こそが、希望の本質であるといっていいでしょう。
 その物語は、自分自身が語るものでなければなりません。どこか別の場所にいる僕たちとは異なる存在が勝手に作った「神話」ではなく、僕たち自身がみずからつむいでいく物語。僕たち自身の言葉で語り、僕たちひとりひとりの経験に基づいた、地に足の着いた物語たち。

 希望への物語を語るためには、僕たち自身がそういうひとりひとりの物語を持っていなければならないのです。
 過去の失敗。痛み。挫折。転回。そういうつらい物語を語ることのできる人こそが、希望への物語をつむぐことができる。つらい過去と未来への希望は、物語を通じてつながっているのです。
 だから僕たちひとりひとりの物語、その無数の物語の集積の先に、わが祖国の希望はあるのです。

 そのためには無数の色の異なる物語が、お互いに別の色を持ったまま、互いに互いをつないでいくこと。
 温度差の違いを織り込んだまま、お互いの存在を認めていくこと。
 そういう希望の物語が、いま求められているのです。

著者プロフィール

佐々木 俊尚
1961年生まれ。早稲田大学政経学部中退。毎日新聞記者、月刊アスキー編集部デスクを経てフリージャーナリスト。主にIT・メディア分野を取材している。「キュレーションの時代」(ちくま新書)「仕事するのにオフィスはいらない」(光文社新書)「電子書籍の衝撃」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など著書多数。
http://www.pressa.jp/
松尾 たいこ
広島県生まれ。第16回ザ・チョイス年度賞鈴木成一賞受賞。著作に作品集「Layered」(パルコ出版)や角田光代氏との共著「Presents」(双葉社)「なくしたものたちの国」(集英社)がある。
これまで250冊以上の書籍装丁画を手がけたほか、広告、CDジャケット、雑誌、ファッションブランドやミュージアムショップにも作品を提供するなど幅広い分野で活躍。
http://taikomatsuo.jimdo.com/