Chapter10

僕たちは自分たちで神話を語ることを放棄してきた
僕らの祖国。僕らのこの日本は、政治を「風景の向こう側」にある手の届かないものとしてとらえてきました。そして僕らのいる「こちら側」だけで軟弱で幽玄な文化を楽しみましょう、と。そして風景の向こう側にある政治的な「何か」は神が生み出す神話としてとらえ、言ってみればその神々に全部負ってもらって神話を語ってもらい、それによって僕らは自分たち自身で政治を語ることを放棄してしまおう、と。
それこそがこの日本社会の神話の構造だったのです。
僕たちの生活と文化。その生活と文化を支えてくれる神話という物語。その神話を支える神々。
その神々に僕たちは絶対安全のような完璧を求め、安心を託してきました。僕たちひ弱な人間は完璧でも絶対でもないけれども、風景の向こう側に見えている神話の世界は完璧と絶対に彩られた堅固な世界である、と。
だから僕たち自身は、安心してのんびりこの文化と生活を楽しんでいればいいんだ、と。
それは現世にあらたかになった極楽浄土だったのかもしれません。
僕たちは自分自身が輝かなくてもよかったのです。神話に頼り、神々の色に依っていればそれで安らかな日々を送ることを約束されていたのです。
生ぬるく、責任はなく、何か起きたら神の声を求め、そして神話に頼る。すべては神話の中の一色の世界として。
神が統治する国、この日本。
そして、単色の戦後を駆け抜け
思い起こせば敗戦からの六十六年。この年月は、昼下がりの長い午睡のようでした。
一九五〇年代、建設の槌音がひびく高度経済成長。社会は右肩上がりに成長を続けていて、晴れやかで高揚した気分がずっと僕らの心を満たしていました。
「一億層中流」ということばが言われるようになったのは、戦後三〇年が経った一九七〇年代の終わりごろからです。そのころに戦後社会は完成していたのでしょう。
そのころの幸せな日本は、パステルカラー一色に染められていました。キャンディーズが「パステルカラーの街に出かけませんか」と歌ったのは、一九七七年のことです。
戦後社会を完成させた日本は、八〇年代に入ってバブルの狂騒へと走り出していきます。株価は急上昇し、ブランドのバッグや化粧品が飛ぶように売れ、皆が背伸びして消費に走りました。街には蛍光色のボディコンシャスやワインレッドのスーツがあふれ、文化は爛熟していきました。
だがそうした時代はすでにぼんやりとした霧の中へと消えて行ってしまっています。
思い出せば、一九九五年の阪神大震災とオウム真理教事件が、時代の転換点だったのでしょう。
日本はこのころからゆるく衰退していきました。
希望は少しずつ失われ、でも生活は安定していた日々。社会学者の宮台真司さんはこの日々を「終わりなき日常」と呼びました。僕たちは身の回りの小さな空間にだけよろこびを見いだし、小さく小さく暮らそうとしていたのです。
一九九七年、神戸で子供を殺した十四歳の少年は、新聞社に送りつけてきた犯行声明文の中にこう書きました。
「透明な存在であり続けるボク」
なにか不安だったけれども、しかしその不安のありかはまだ曖昧として見えてこなかった九〇年代。荒野にひとり立っていて、冷たい風が通り抜けていくような心細さを感じていた日々。
透明な時代でした。
嵐の吹きすさぶゼロ年代、日本
しかし透明な日々も、永くは続きませんでした。
二十一世紀に入るころから、風は冷たく変わっていきます。
日本は灰色の中へと停滞しました。人々は貧しくなり、若者は希望を失い、先行きのない不安をだれもが抱えるようになっていたのです。
ただ僕たちは堪え忍ぶしかない、これからやってくるであろう酷い未来をただ先送りしていくしかない。灰色の嵐が吹きすさぶ岬で、外套の襟を立ててうずくまり、そう考えるしかほかに手立てはなかったのです。
失われた希望。ばらばらに分断された人々の連帯。孤独に立ちすくむ人たち。
灰色の絵の具で濃く塗りたくられた背景に、日本は沈み込んでいったのです。
多様な色は、二度と取り戻されませんでした。そして気がつけば、僕たちは灰色一色の世界に入り込んでしまっていたのです。
思い返せば一九四五年、あの輝くようにまぶしい瓦礫の夏。大日本帝国という神が立ち去った後、そこには進駐軍という新たな神がやってきて君臨しました。
でも僕たちの二〇一一年には、もう神はいません。神話もすべて終わってしまいました。
三月十一日のあのできごと。そしてそれに続く長い苦難と災厄が、すべての神と神話を押し流し、潰し、どこかへと追いやってしまったのです。
もう一度、戦後の神話の数々を思い出してみます。
「銀行不倒神話」
「土地神話」
「成長神話」
「総中流神話」
「検察正義神話」
「原発安全神話」
「持ち家神話」
「ものづくり神話」
灰色の波に覆われていったゼロ年代、どの神話も生き残ることはできませんでした。
もはや僕たちが頼れる神も神話もどこにもいないのです。
神も神話も消えたこの祖国
大東亜共栄圏の希望を僕たちに見せてくれた大日本帝国。
いきなりどこかから現れて、大量の物資とチョコレートで僕たちを助けてくれた米軍。
高度経済成長を力強く打ち立て、バブルの夢を見させてくれた企業社会。
どれももう姿を消してしまい、二度と戻ってくることはありません。
神話もすべて失われてしまいました。
僕たちの前には、頼む神もすがる神話もなくなってしまったのです。
神に「安心ですよね?」「大丈夫ですよね?」「お任せしてもいいですね?」と呼びかけても、その声は虚空の中に吸い込まれるだけで、返事は決して返ってきません。聞こえるのは自分たちの声のこだまだけでしょう。
僕らは混沌のなかへと放り込まれています。一体感の幻想は失われ、ばらばらに漂流するよるべない私たち。
ただ目の前には、茫洋とした荒野が広がっているばかり。瓦礫の上に広がるのは青空ではなく、どんよりとした暗雲が粉雪を降らせているばかりです。
これから、長い苦難の日が続くでしょう。
福島の海岸で発し続ける熱は、いつ消えるのかもわからない。いつもう一度、大地が震えるのかもわからない。きっと僕たちの子供の世代は、今よりも貧しくなっているでしょう。
安全で安心な繭もなくなってしまって、つねに不安と危険の中で暮らしていかなければならなくなりました。
でももうだれにも頼れない。僕らは自分自身で、危険と不安に向き合っていかなければならないのです。神話の中で、同じ色に染められてうたたねをする日々は、もう遠く過ぎ去ってしまったのです。

佐々木 俊尚
松尾 たいこ