僕らの神話が終わった日 ─ そして希望の物語が始まる

Chapter1

「これから」を今こそ探そう

 
 僕たちはいま、かつてない苦難の時代を迎えています。予想もしていなかった災厄と、グローバリゼーションという新たな世界の襲来。僕らはどのように生き延びていくことができるのか。そういう困難な課題に直面しています。
 背中を丸めてただ見ないですませようという選択もあるでしょう。犯人を捜し出し、吊し上げることで鬱憤を晴らす人もいるでしょう。それで何もかもが過ぎ去り、ふたたびあの暖かな日差しが戻ってくるのなら、それでもかまわない。
 でもあの晴れた午後は、もう決して戻ってこないのです。
 だったらいま、僕らはやるべきことは何か。
 それは僕らの「これから」を、今こそ探し求めること。
 その探し求める過程を大切にし、つねに探し求めてやまないこと。
 企業社会が元気だった高度経済成長時代のように、もうそこには答はありません。だれも「安定した人生」のような答は用意してくれていないのです。
 しかし僕らは、過去のできごとからさまざまに学ぶことはできる。その学びを教訓として、「これから」を考えることはできるのではないかと思います。
 だからまず過去をさかのぼり、歴史の霧の遠くを今こそ探し求める時が来ているのです。
 そこには失われた記憶が、きっと残っていることでしょう。六十六年先の未来に向けて、静かな光に満たされ遺されていた記憶が。
 そしてその記憶が指し示す未来は、すでに約束されていたことなのかもしれません。

敗戦と三島由紀夫

 一九四五年。敗戦の夏。
 作家三島由紀夫はこの年の青い季節を思い出して、書きました。

「また夏がやってきた。このヒリヒリする日光、この目くるめくような光りの中を歩いてゆくと、妙に戦後の一時期が、いきいきとした感銘を以て、よみがえってくる。あの破壊のあとの頽廃、死ととなり合せになったグロテスクな生、あれはまさに夏であった。かがやかしい腐敗と新生の季節、夏であった」(一九五〇年八月、『新潮』)

 三島はこのときちょうど二十歳。東京帝国大学の学生でした。徴兵検査では乙種合格となり、戦争末期の四五年二月に応召されます。本籍地の兵庫県で入隊検査を受けますが、風邪を引いていた彼を軍医が胸膜炎と誤診し、からくも入隊を免れました。
 東京大空襲をはさんで五月、勤労動員にかり出され、神奈川県海軍高座工廠の寮に入りました。この高座工廠というのは戦争末期につくられた兵器工場で、「雷電」などの戦闘機が製造されていました。座間市と海老名市の市境あたりです。
 三島の仕事は、図書館の管理でした。図書館といっても、大学から持ってきた本をバラックの中に並べただけです。動員先でまで勉強をしようなんて学生は稀でしたから、仕事はほとんどありませんでした。ほんものの肺結核を病んでいた相棒の学生と二人で、三島は窓の外に広がる夏野の光景を眺めながら、ただ日々を過ごしていました。
 七月末、あるしんとした暑い日。いつものように窓に肘をついていると、外からこんな会話が聞こえてきます。

「戦争はもうおしまいだって」
「へーえ」
「アメリカが無条件降伏をしたんだって」
「へえ、じゃあ日本が勝ったんだな」

 この会話を聞いた三島は記します。
「目の前には夏野がある。遠くに兵舎が見える。森の上方には、しんとした夏雲がわいている。……もし本当にいま戦争がおわっていたら、こんな風景も突然意味を変え、どこがどう変るというのではないが、我々のかつて経験したことのない世界の夏野になり森になり雲になる。私は、何かもうちょっとで手に触れそうに思える別の感覚世界を、その瞬間、かいま見たような気がしたのである」(一九五〇年八月十四日、毎日新聞)

 見慣れた景色が、別の光を帯びて見えるようになる。
 見慣れた色が、新しい別の色に見える。
 焼け跡の中で見た青い空は、そうした期待をいだかせるのに十分な鮮やかさだったのかもしれません。

青い空とリンゴの唄

 この時代の有名な流行歌に「リンゴの唄」があります。「赤いリンゴに口びるよせて だまってみている青い空」

 この歌をうたった並木路子さんは三島由紀夫より四歳年上。五歳まで台湾ですごしました。東京の小学校を卒業してから松竹少女歌劇団に入団し、歌姫への道を歩みはじめます。
 彼女の思春期には、戦争が色濃く影を落としています。
 次兄は兵士でした。十八歳で麻布三連隊に入隊し、そして部隊は翌年二・二六事件を引き起こします。青年将校は逮捕され、連隊の兵士たちはそのまま満州へと送られました。面会どころか、家族に連絡もないままの処分だったといいます。そして日中戦争。銃撃戦で足を負傷し帰国しますが、太平洋戦争開戦後に再び招集され、そして二度と戻りませんでした。
 並木さんの栄えある初舞台は、完成したばかりの浅草国際劇場。しかしこの年には二・二六事件に兄が巻き込まれ、翌年夏には中国の盧溝橋で日本と中国の軍隊が衝突し、日中戦争が始まります。
 そして歌劇団の舞台もロマンチックな外国調のものから、軍国調一色へと変わっていきます。戦地の兵士のために慰問にも出ていくようになります。

 彼女の初恋の人も、海軍将校として特攻出撃して帰りませんでした。
 立教大学の学生だった上田四郎さん。ポンというニックネームでした。学徒出陣でした。
 並木さんはある日、外出を許されたポンに会うことができます。上着が短く、ズボンがすうっと長い濃紺の軍服。腰に短剣を吊るその姿。でも短い逢瀬の時間はあっという間に終わりが来てしまいます。
「両国まで送るわ」
 両国の駅まで来ると、今度はポンが言います。
「これから二重橋へ行こう」
 二人で市電に乗り、お堀端をただ並んで歩きます。「おい、おい」と警官に呼び止められます。「いま日本は戦争をしてるというのに、君は海軍の軍人だろう。この重大な戦局に女と歩いてるとは何ごとだ」
 交番を出て東京駅まで戻り、省線に乗り、両国駅から家まで送ってもらいます。「さよなら」と別れたのに、ひとりで帰って行くポンの後ろ姿を見ているうち、「ポンの身にもしものことがあったらどうしよう」と不安になり、追いかけて「駅まで送るわ」。
 そうして両国駅まで一緒に行くと、今度はポンがまた彼女を家まで送ってくれて……気がつけば送ったり送られたりを、三度も繰り返していました。ふだんはとても遠く感じる両国駅から家までの距離が、その日は本当に短く感じたとのちに並木さんは振り返っています。
 ポンが戦地に行ってしまってからも、並木さんは彼と結婚するのだと決めて「ポンが帰ってきたら」「ポンが帰ってきたら」と口ぐせのように繰り返していました。
 でも戦争が終わっても、ポンは帰ってきませんでした。「リンゴの唄」が流行し、並木さんの名前が知られるようになっても、ポンは現れませんでした。
 ポンが土浦の航空隊からボロボロの粗末な戦闘機に乗って出撃したのを並木さんが知ったのは、戦争が終わってから四年も経った後のことでした。

 そして一九四五年三月九日、東京大空襲。
 その日、並木さんの気持ちは躍っていました。軍を慰問し、食パンとバターをお土産にもらったからです。このころパンといえば、配給の小麦粉がほんの少し入っているだけで後はサツマイモという、パンよりはふかし芋に近いような手製のものしかありません。正真正銘のパンを食べるのは本当に久しぶりで、母と二人で「こんなおいしいものがあったのね」と言いながら夕食をすませたのです。
 そして日付が変わる深夜。B29の爆撃が始まります。
 窓の外には、大きな花火のように焼夷弾が落ちてくるのが見えます。少女歌劇団の制服と防空ずきんを身につけ、母の手を握りしめて並木さんは逃げました。火の中をくぐり抜け、水のあるところに逃げようと隅田川へと向かったのです。
 川のそばには逃げてきた人がたくさんいました。川の上には火の玉が浮いているように、火の塊が燃えながら流れています。焼夷弾の油の塊が水に浮いていたのでしょう。また浮かんでいる船もどれもが燃えていて、川に飛び込んでも身体に火がついてしまいそうでした。
 でも来た道を戻っても、そこには猛烈な業火が—。
 並木さんは意を決して川に入ろうと決め、母に「どのぐらい深いか見るから、ここで待っててね」と伝えます。そして両手で堤防にしがみつきながら足を入れていったそのとたん、母は何を勘違いしたのか自分も川の中に飛び込んでしまったのでした。並木さんはあわてて母の襟首をつかんでひきあげようとしましたが、しかしそれっきり意識を失ってしまいました。
 そのまま彼女は流され、そのうちに「つかまれ、つかまれ」と誰かが言っているのが夢の中のように聞こえ、そうして水の中から引っ張り上げられて助かったのです。
 どこかの工場のようでした。逃げてきた人がたくさんいました。工場の周囲にもたくさんの焼夷弾が落とされ、人々はバケツリレーで必死の消火活動を続けています。その姿は炎にあかあかと照らし出され、暗闇の中で人の顔までがくっきりと見えていました。まるでどこかで撮影している映画か何かのシーンのように。
 そして夜が明けていきます。焼死体がそこらじゅうに転がる凄惨な風景の中を歩き続け、家のあった場所にたどり着きました。
 何も残っていませんでした。

著者プロフィール

佐々木 俊尚
1961年生まれ。早稲田大学政経学部中退。毎日新聞記者、月刊アスキー編集部デスクを経てフリージャーナリスト。主にIT・メディア分野を取材している。「キュレーションの時代」(ちくま新書)「仕事するのにオフィスはいらない」(光文社新書)「電子書籍の衝撃」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など著書多数。
http://www.pressa.jp/
松尾 たいこ
広島県生まれ。第16回ザ・チョイス年度賞鈴木成一賞受賞。著作に作品集「Layered」(パルコ出版)や角田光代氏との共著「Presents」(双葉社)「なくしたものたちの国」(集英社)がある。
これまで250冊以上の書籍装丁画を手がけたほか、広告、CDジャケット、雑誌、ファッションブランドやミュージアムショップにも作品を提供するなど幅広い分野で活躍。
http://taikomatsuo.jimdo.com/